プレイヤーインタビュー

現役よりセカンドキャリアの時間の方が長い。だから今の現役の選手にはやりきってほしい。

仲里 航

フットボールナビゲーション株式会社

「現役よりセカンドキャリアの時間の方が長い。だから今の現役の選手にはやりきってほしいなって思っています。」

プロローグ

ヴィッセル神戸やFC琉球でプレーをし、現在大人向けのサッカー・フットサル教室を運営しているフットボールナビゲーション株式会社の仲里さん。元プロアスリートならでの悩みや、今セカンドキャリアを歩んでいるその経験を赤裸々にお話しして頂きました。

現在のお仕事内容を教えて頂けますでしょうか?

スクール事業をやっていて、大人向けのサッカー・フットサル教室です。そこが軸にあってスクール運営のお手伝いやレッスン型の事業もあります。会社のメインとしてやっているのはここですね。

アスリートとしてのご経歴を教えて頂けますでしょうか?

18歳~23歳までトータル5年間現役でプレーをしていました。最初の3年間はヴィッセル神戸(以下、ヴィッセル)、その後2年間はFC琉球でプレーをして、23歳の時に引退をしました。私が小学3年生の頃、当時私の地元の沖縄ではまだサッカー盛んでは無かった時なんですが、ヴェルディ対マリノスの試合が沖縄で放映されて、その時初めてサッカーの試合を見たんです。そこで活躍されていた三浦知良さんに憧れてサッカーを始めました。この選手かっこいいな、一緒にサッカーしたいな、って。単純な動機でサッカーにのめり込んでいきました。

一般的には大学に入るような年齢の時、ヴィッセルからお話しがあって18歳からJリーグでチャレンジすることになりました。その時はやっぱり希望しかなかったので、ずっとこのまま35歳くらいまで現役でプレーを、年収〇千万もらって一生分を蓄えて、いうイメージをしていて、そういったイメージを持ってプロ生活が始まりました。でもプロ生活3年目を迎えても中々試合に出られなくて、ベンチ登録くらい。その頃ちょうどFC琉球がJリーグを目指すということでちょうどお誘いを頂き、レンタルでFC琉球に行ってJFLで2年間プレーをしました。

現役時代からセカンドキャリアはイメージしていたのでしょうか?

ある程度のところまでやってダメだったら線引きはしようとは考えていました。FC琉球で2年間プレーをして23歳の時、FC琉球の契約は残っていたんです。ただその年齢でJリーグのJ1の中でプレーをしていないし、Jの舞台に立っていないんですよ。それでこの先どうしようって思ったのが引退を考えたきっかけの一つ。もう一つはある程度自分の中でやりきってしまっていて、ここまで頑張って届かないものはもう届かないなと。自分の限界というのを自分自身で気づいて、ちょっと違う道に行きたいなと思ったのがきっかけです。その時漠然と自分はスポーツビジネスの世界で成功したいなと思っていたんです。やっぱりスポーツに関わってきたのでスポーツからは離れられないなと。

それと私は沖縄への思いが強いんです。沖縄にそういうJクラブが誕生して、地元のクラブが大きくなって、Jリーグを制覇してアジアを制覇して、世界で活躍できる、そういった地元のクラブがあったらいいなって思っています。自分がどう関わるのかは分からないですけれど、スポンサーとしてなのか、自分がそこで経営しているのか、その中で働いているのか分からないんですけれど、将来そういう仕事につきたいなと思ったんです。それが強い動機でした。いつか地元に戻りたいなって。

引退後はどうされたのでしょうか?

引退後、色々ご縁があってアルバイトでヴィッセルの営業アシスタントとして働かせてもらうことになりました。単純に営業とかでビジネスを学んだら、将来自分の役に立つと思っていたんですよ。サッカーしかしてこなかったので、当然なんですが社会人としてのスキルが全く無いんですよ。パソコンだったりビジネスマナーだったり。そういうのを身に付けたいと思っていたのでバイトでも良かったんです。

セカンドキャリアがスタートして、不安などは無かったのでしょうか?

不安とかは無くて、将来こうなりたいああなりたいっていう新しい道への希望の方が大きかったです。とはいえ実際に1年くらいは苦労しました。サッカー選手とかアスリートって自分が活躍している活躍していない関係無く、言い方悪いかもしれないですけどちやほやされるんです。でも自分の周りの人が支えてくれているのに気付いていない人もいて。広報とか営業とか事務の方とかみんなサポートしてくれているじゃないですか。そういう人達がいなくなって、急にポンって外に出るので何もできなくなるんです。自分自身もそう感じましたね。現役の時はみんな“Jリーガーだ”って寄ってきてくるんですけど、でも“Jリーガー”っていう看板が無くなったらただの兄ちゃんなんですよ。それでまたこの“元Jリーガー”っていう看板が邪魔をするんですよ、自分のプライドに。そのプライドをへし折っていかないといけないんです。それを素直に自分の中で受け入れられるかどうかですね。営業って謝ることもありますし、理不尽なこともたくさんあるわけです。色んな人とコミュニケーションをとっていかないといけないわけですし、そういったメンタル的なところですごく苦労しました。

でもやりきったからこそ見える道ってあるじゃないですか。やりきったなって思って新しい道に切り替えることって、どっかで必要だと思うんですよ。サッカー選手とかアスリートって急に引退をつきつけられるわけです。その時にこの先どうしようとか不安でしかないですよね。だからこそ後悔しないように、現役でプレーをしている時に全力でやる。やり残したことがあっても、誰も時間は戻せないんで。時間を有効的にプレーに費やせているかどうか。僕が今現役時代に戻ったらもっとストイックにサッカーに時間を費やしますね。もう一回現役時代に戻れたら、もっと活躍できたと思う。あの時自分ではやりきっていたと思うんですけど、今俯瞰してみるとまだまだやれたんちゃうかなって。現役でいられる期間って短くて、セカンドキャリアの時間の方が長いんで。だから今の現役の選手にはやりきってほしいなって思っています。

現在のお仕事をするようになったきっかけは何だったのでしょうか?

ヴィッセルで仕事をしてちょうど3年目くらいの時に、お客様でSさんという方がいらっしゃって、ヴィッセル神戸の試合のチケットを購入してくださったんです。そのSさんの息子さんが当時小学5年生で、ヴィッセルのスクールにも通っていて将来を期待されるようなすごく優秀な子だったんです。その息子さんにプロの選手のアドバイスをしてほしい、とSさんに言われたんです。それでSさんの自宅に招いてもらった際に息子さんに「将来何になりたいの?」って聞いたら、「サッカー選手になって日本代表選手になりたい。10番を背負ってスペインに行って、家族全員を連れて行って幸せにしたい。」ってキラキラした目で話してくれたんです。その目にやられましたね。今まで自分がやってきたことが彼の役に立ったら良いなって、頑張って教えたいなって純粋に思ったんです。

それで最初はボランティアで月に1-2回レッスンをやっていたんですけれど、彼の成長がSさん家族の話題になるんですよ。「昨日こうだったね、来週はこうしよう。」とか家族の会話がそこにあって。こういう幸せな空間って良いなって思って、役に立っているっていう充実感を感じることができたんです。そういうのを感じたことがきっかけで、スクールをはじめることにしました。これで仕事ができたらおもしろいなって思って。個人レッスンの、最初のお客様はSさんです。

大人向けのスクールをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?

最初そういった思いで子どもを対象にしたスクールをはじめました。当然スクールをはじめるにあたって事業計画書を作り、銀行からお金を借りて会社をつくりました。いきなり会社勤めしていた営業の3年目くらいの人間が、いきなり社長になったわけです。自分自身、昔から社長になりたいと思っていて、そういう気持ちもあって会社をつくってしまったから、代表取締役っていう肩書に負けちゃうんですよね。社長=お金も時間もいっぱいある、そういう漠然としたイメージを持っていたんですよ。なんか楽しそうな、かっこいいなって。だからいざ自分が会社をつくって代表取締役っていう肩書がついたらいかにも自分のステージがあがったような気がしてしまって。お金や時間、色んな人との付き合い方を間違えてしまったんです。

スクールを開校したけれどまったく人が集まらなく、でも固定費は発生しているのでどんどんお金は無くなっていって、すごく焦りました。知り合いの保護者の方が口コミでお客さんを連れてきてくれたこともあったのですが、結局30人40人くらいで留まってしまって。自分のスクールの隣ではJクラブや海外クラブのスクールなどが軒並み揃えていて、事業として続けていくのは難しいなと思ったんです。

それで大人向けにフィットネス感覚でサッカーを教えようと思ったんです。自分の携帯に入っているリストの方達に、「こんなことをやるのでテストで来てくれませんか」って片っ端から連絡をしました。最初は30名くらい集まって、その後も体験会を何回かやって、アンケートを取ったりもしました。そしたら反応が良かったので、これはもしかしたら需要ありそうだなって思ったのがきっかけです。

実際反響はどうだったのでしょうか?

大人向け、というのは当時ほとんど無くて珍しかったんです。7年くらい前ですね。ちょうどフットサルが広まりはじめた時で、会社や大学でもサークルが作られるようになった時です。“うまくなりたい”って思う人達がスクールを探しても、大人が学べるスクールが無かったんです。それでこれはいけるかもって思って始めました。最初のお客さんは全員知り合いで、その人達に「一人でもいいから連れてきて」ってお願いをしてどんどんお客さんを連れてきてもらいました。その後、サッカーやフットサルをがっつり学ぶというよりも、フィットネス感覚でやれるコンセプト・プログラムに変えてから、より人が集まるようになりました。

楽しいとか、汗をかくとか、スポーツにしかできない非現実的な空間ってあるじゃないですか。たった2時間ですけどその場が楽しいっていう気持ちになれたり、できなかったパスができるようになったり、会社とか全く関係のない社外の人とも繋がれる環境、これがすごく良かったんですよ。今の人達って忙しすぎるので、会社と家の往復だけなんですよね。その合間にこういう場があれば、健康に寄与するという意味でも人の役に立つのではという思いがあります。

最後に、これからの目標や夢を教えていただけますか?

大きな目標はずっと変わっていなくて、自分の地元である沖縄でスポーツに関わりながら、自分の能力や経験を活かして地元に貢献していきたいと思っています。それが沖縄の活性化に繋がればいいなって。その一つの手段として、世界一のクラブを作りたいなという思いがあります。これは本当に大きな将来の夢です。

その夢に向かっていく中で自分自身をもっと成長させないといけないと思っていて、自己成長っていうのが自分のテーマです。世の中の人にとって役に立てる、貢献できる人間になりたいなって。今までの経験で学んだことですが、誰かの役に立つことは人に喜ばれるし、それがお金にもなるんです。自分のやりたいことをできるようになるには、受け取っているばっかりじゃ難しくて、与えることが絶対に必須です。自分が誰かの役に立つ人間にならないといけない。だから自己成長が必要なんです。

そういう意味で仕事って何でも良いと思うんです。例えばこういう目的(自己成長)があればどんな仕事でも楽しめると思うんです。何があってもマイナスになることは無いんで、プラスに変えていけるのは自分自身だと思うんですね。

遅れの法則というものがあって、成長って全部遅れて返ってくるんですよ。例えば英会話は、何度も何度も繰り返したのちにふとした瞬間に話せるようになりますよね。サッカーも同じで、3ヶ月やってダメだったから諦める人という人が多いと思うんですけど、そこを踏ん張れるかどうかなんですよ。もうダメかもって思った時にもうひと踏ん張り、もう一仕事をしてみる。その一歩が大事だと思います。