プレイヤーインタビュー

失敗から学び、行動を起こす。その繰り返しが大切。

吉武 剛さん

ソルティーロ ファミリア サッカースクール

幕張校コーチ

失敗から学び、行動を起こす。その繰り返しが大切。

プロローグ

今回ご紹介するのは、本田圭佑選手がプロデュースするサッカースクール『SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL(ソルティーロ ファミリア サッカースクール)』幕張校コーチの吉武剛さんです。吉武さんはJリーグで活躍した後に海外でプレーをした経歴をお持ちのアスリート。海外でどのような経験を積まれたのか、そして引退後なぜコーチに仕事をしようと思われたのか。貴重な経験をお話し頂きました。

吉武さんのご経歴を教えて頂けますでしょうか?

2000-2006年の間、横浜FCでプロとして新米の自分を育ててもらいました。その時にクラブとしても初めてのJ1昇格を経験して、でも自分は東京ヴェルディへ移籍しました。その時東京ヴェルディはJ2で、翌年にJ1へ昇格したので自分も初めてJ1を経験しました。東京ヴェルディは2年間いたいので、日本でプレーしていたのは合計9年間。そのあと1年発起してアメリカに移籍する為に、アメリカでトライアウトを点々としました。トライアウトを通過して、オファーが来て、次のチームへ移籍して、アメリカは計4年間(計4シーズン)プレーしました。オファーがくるごとに移籍していきましたね。最終的に香港に移籍しました。ちょうどその時横浜FCが香港にチームを立ち上げるということで、自分の中で横浜FCはすごくお世話になった、育ててもらった特別なチームということもあるので、その中で自分に対してオファーをもらったということは何かしら恩返しができると思い香港に移籍しました。香港には合計3年いましたね。海外で始めてキャプテンとしてやらせてもらって、海外でキャプテンをやる、というのはそれまでの海外経験や英語力が活かせました。

どうしてアメリカの地を選ばれたのでしょうか?

Jリーグでプレーする、というのは他の選手でも経験できることです。色々な夢がある中で、いずれヨーロッパでプレーしたいという目標がありました。アメリカ経由でーロッパに行きたい、という目標、ビジョンが自分の中にあったんです。なぜアメリカかというと、もともと英語圏を選んでいてオーストラリアとか、アメリカ、イングランドとか。でも段階的にイングランドでは現実的無いなと。ちょうどその時、アメリカにある有名選手が移籍したばかりだったんです。それでこれからアメリカが絶対来るなと思って。自分の中でイメージがありましたね。MLSが始まりレベルも上がってきていて、有名選手も移籍している。

アメリカに行ったら言葉も異なるし、文化や価値観など自分はアウェイの状態でどれだけチャレンジできるのかなって。最終的に考えた事は、ボール一つ持っていれば、身体一つあれば行けるなと。選手である今しか行けないと。だからアメリカに行く道を選びました。その後はトライアウトの情報を集めるため、詳しい人を探そうとネットで色々調べましたね。でもツテがあるわけでも無いので、色んな人に「自分はアメリカに行きたいです。」って想いを伝えていました。そしたらある日、知り合いの人が紹介してくれた人がいて、そこから広がってサポートしてくれる人が見つかったんです。

その後は行きたいチームのトライアウトをピックアップして、スケジュールや予算を考えて、1ヶ月半の間でどれだけ回れるかって。こんな事は今までやったことありませんでした。当時英語も全く出来なくって。でも、アメリカに行きたいから英語を学び直そうと、アメリカに行くまでに基礎は固めおこうと、自分の中で決めていました。毎日サッカーの練習が終わってからカフェで勉強していました。勉強は好きではなかったですけど、サッカーにイコールするとできるようになる。サッカーで英語が必要になる、だったらやるしかないってなる。サッカーのためならイコールになる。

アメリカの生活で思い出に残っていることは何ですか?

実際アメリカでのトライアウトの話っていうと、色々なことがありました。まず飛行機やホテルの手配のやり方を知らない。今までは自分から寄るより寄ってきてもらう側だったから、そういったギャップもありますよね。飛行機に乗る前までは準備とかもわくわくしていたんですけど、でも飛行機に乗った瞬間泣けるくらい後悔の気持ちになっちゃって。理想から現実に入っちゃったんですよね。怖くなってしまったんです。

なんとか現地に到着して、2日後には最初のトライアウトがありました。結果的には落ちてしまって。譲る事をしてしまって、要は自己主張が無かったんです。そこで失敗してしまったんです。でもその後にもトライアウトの予定があったのでニューヨークに移動しました。ニューヨークでは旧友と会うため待ち合わせ場所まで一人で行かないといけなかったので、自分なりに勉強しました。恥ずかしいんですけど、3分歩いたら人に聞くっていう事を常にしていて。分からなかったから人に聞けっていうことを繰り返してしていました。それで待ち合わせ場所に何とかたどり着いて。その時から、ここは自分にとってアウェイだから恥ずかしい事は何もない。自分から発さないと進めないって笑。そうやってニューヨークで生活を過ごしていました。

その後のトライアウトでも、パフォーマンスは良くできたのに外国人枠が埋まってしまって落ちてしまって。「そうか、ここは自分にとってアウェイの地なのか」って。現地の選手よりも抜きでて、さらに外国人枠の中で戦わないといけない。分かっていたけど、海外の厳しさっているのを体感しました。

その後もトライアウトを受けたのですが、自分には時間が限られていました。だからもしこれでダメだったら引退だなっていう気持ちで挑んで、そのトライアウトに受かったんです。ただ、まだこの段階ではチームと契約できるわけではなくて、トライアウトを通過した選手と既にいる選手とが競い合い、プレシーズンを終えて勝ち残った選手が契約できるんです。その大事な練習が始まるっていう時に、ねんざをしてしまって歩くこともできなくなってしまったんです。なんていう面白いアメリカのチャレンジだよって思いながら笑。簡単にはいかないなって。痛み止めを飲んで、だましだまし痛み引くのを待ちながらなんとか練習に参加し続けて、2週間後に契約を勝ち取りました。

トライアウトだったけど凄く良い評価をしてもらって。10番をつけさせてもらったり、その年は新人賞のような賞をもらったり。自分の中でも想い通りのプレーをする事ができました。それは苦労に対して立ち向かったっていうのもあって、その時に英語能力がすごく重要だなって気づいたんです。なぜならアメリカはスポーツがデータ社会なんですよ。それとミーティングが多いです。日本以上に多くて細かい。ポジションとか役割がはっきりしていて、それを理解しないといけない。だから、車があるけど自分で行かないといけない、そんな時には誰かに必ず乗ってもらって、会話して、コミュニケーションして常に英語の勉強。聞く、アウトプットの繰り返し、自分が勉強してきたものをやる、その繰り返しをずっとやってきました。

現役引退後はどうされたのですか?

プロとして16年間プレーをして、2015年6月に引退しました。引退後は某スポーツメーカーに勤めたのですが、就職活動は大変でしたよ。面接もたくさん受けて、なんとか受かりました。

現役時代からお世話になっていた人で、実は今同じ会社の人なんですけど、オフシーズンのトレーニングに付き合ってくれたり色々相談にのってくれたり、自分の兄貴的な存在の人がいるんです。現役を続けるか悩んでいて、引退するって決めた時からずっと今の会社の話をしてくれていたんです。本田圭佑選手っていうリスペクトできる選手がいる会社で、自分自身も成長できると思いました。それと、海外にチャレンジしているっていうところがすごく魅力的でしたね。その想いが強くなり、タイミングも重なって今の会社に転職しました。

海外ってすごく不安だし怖いけど、何かしら強みを持っていれば行く勇気を持てる。僕はサッカー選手で今しかないっていうことだった。言葉が通じなくてもサッカーだからグラウンドで表現できる。誰でも。自分の強みでもあった。サッカー選手というのは職人。一芸を持っている。一芸を持っている人は、一つ何か強みを持っている人は言葉通じなくてもチャンスはいっぱいある。例えば芸術家とか。不安はあると思う、一芸はあるけど社会でやっていけるのか。通じるのか。だけど続けていけば切り開ける。コンピューターの世界でも一緒。

コーチという仕事を選んだきっかけは何だったのでしょうか?

僕にも子どもがいるんですけど、自分自身の子育ての力をつけたい、という思いがきっかけでした。自分の子どもにもよく話をしていますけど、スクールの子ども達にも自分の海外経験を伝えていきたいっていう気持ちがあります。

人生のターニングポイントになる人っているじゃないですか。僕の場合、ある有名なサッカー選手だったり、学生の頃の監督だったり、父親だったり。そういう人達の言葉って今も自分の中で生きているんですよ。子ども達にとって、そういうターニングポイントの人間になれたらなって。

子ども達に良く言うことがあって、それは、「頑張ることは誰でもできる。反省する事も誰でもできる。だけど頑張ること、反省する事、そして悔しい気持ちを持つ事、それを続けていかないと意味がない。」ということ。大人になっていくなかで、“よしコーチがこんな事言っていたな”って、いつか思ってもらえることが自分の指導者としての望みですね。そう思ってくれたら、きっとその子どもの中で一生残るじゃないですか、自分もそうだったので。

海外の経験から今も活かされていることはありますか?

自分の人生を語れる、っていうことですね。自分はまだ35年しか生きていないけど、これだけチャレンジしてきたんだっていうことを。もちろん、自分のチャレンジは周りに助けてもらってやれてきたものです。

異国の地だと、相手が分かってくれているだろうなって思って言葉に出さないと、意見を持っていないものと同然になってしまうことがあるんです。言葉のキャッチボールをすることが大切で、そういった環境や習慣の中にいると、実際言葉が100%分からないところに入っても相手の言っていることが分かるようになるんです。小さい時からこういった環境にいる事ができたら、もっと良いなって思いますね。

僕は最終的には香港に行って、キャプテンも務めてチームをオーガナイズするために、自分の意見を強く言うようにしていました。でも中国の香港はまた環境や習慣が違って、失敗もしました。「そうか、中国香港の習慣っていうのはまた日本やアメリカとは違うんだ」って、失敗から学びました。行動を起こす、その繰り返しが大切。やってみないと気づかないことって多いんです。

それと海外っていうのは、今あるもの対して受け入れることがすごく重要なんですよ。例えば自分の経験で言うと、日本みたいに充実しているサッカー環境じゃないとか、アパートがぼろいとか、色んな環境があって色んな文化がある。それを嫌だとか言っていたら成功できないので。そういうことに対してフラストレーションをためるのでは無くて、あるものに対して何をしなくちゃいけないのかっていう、行動に移していくことがすごく大切。それを海外で学ばせてもらった。それは今の仕事でも言えることなんです。子ども達の中には本気でサッカーをうまくなりたい子もいれば、中々うまくいかなくてサッカーを嫌いになりそうな紙一重の子もいる。色んなタイプの子がいて、そういう子に対してそれぞれ対応能力があるのは今までの経験のおかげなのかなって思いますね。

企業情報

本田圭佑選手がプロデュースするサッカースクール
SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL(ソルティーロ ファミリア サッカースクール)
http://soltilo.com/