企業インタビュー

人と違うことを考え、そしてその先を考え抜く。

大阪経済大学 人間学部

相原 正道

教授

人と違うことを考え、そしてその先を考え抜く。

プロローグ

今回ご紹介する方は、大阪経済大学 人間学部 相原正道教授です。社会人で働きながら筑波大学大学院へ入学。終了後は東京ヤクルトスワローズで「F-Project(古田敦也選手兼任監督)」に携わり、その後東京オリンピック・パラリンピック招致委員会のメンバーとして活躍。そして2015年4月より大阪経済大学で勤務をされており、現在人間学部の教授を務めていらっしゃいます。(2017年11月)

今のメインのお仕事は何でしょうか?

大学での研究活動です。授業を数コマ持っていて、全学部の学生が参加できるものでは300名近くの学生が受講している授業があります。また専門的にスポーツマネジメントやスポーツ産業論というような講義、卒業論文指導、あとゼミもやっています。それと今は大学院でも授業をやっています。スポーツビジネスはまだ新しいですから、学生の関心も高いですよ。

東京ヤクルトスワローズのお仕事や、東京オリンピック・パラリンピックの携わることになったきっかけは何だったのでしょうか?

電通時代の先輩が東京ヤクルトスワローズで「F-Project(エフ-プロジェクト)」というのをやることになり、その先輩に声をかけてもらったことがきっかけです。これは古田敦也さんが選手兼任監督になった時にはじまったプロジェクトです。民間人5人が呼ばれて、私はその内の一人として集客マーケティング担当をすることになりました。いじめ撲滅を訴求する社会貢献事業とマーケティングが一緒になった、大義名分マーケティングなんて言うことを実施していました。実はそれが私の修士論文でした。こういうのがアメリカで当たり前に行われていて、今後日本にも来るだろうなと思っていたので始めました。今はもう日本でも当たり前になっていますよね。実は、大学院で大義名分マーケティングを研究していたことを実践しただけなのですよ。随分、テレビにも取り上げていただけました。

東京オリンピック・パラリンピックに携わることになったきっかけは、筑波大学院の教授で、私が大学院時代にお世話になった河野一郎先生のおかげです。河野一郎先生が東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長に就任されました。大学教授と兼務されていました。当時、私は東京ヤクルトスワローズにいたのですが、河野先生から「オリンピック・パラリンピックに来ないか?」というお話しを頂いて東京オリンピック・パラリンピック招致委員会に入ることになりました。

もともとスポーツのお仕事に興味があったのでしょうか?

スポーツは好きで自分自身もずっとスポーツをしていたんですけど、仕事としてほとんど接点が持てなかったのが実情です。スポーツと接点が持ちたくて大学院に進学した理由です。筑波大学大学院に進学したのも、なんとなく一人で仕事がこなせるようになってきて自信もついてきて、でも自分はこれでいいのかなって、みんなも悩む時があると思うんですよ。社会人時代の上司を見ていて、きっと自分もこういう風になっていくんだろうなっていうのが見えてきます。評価はされているけれど、本当にこのままでいいのかなって。代理店って何でも屋なんですよ。建築もやっていれば車もやったり、飲料もやったり、自分はいったい何屋なんだろう、自分の専門って何なんだろうって。それで自動車業界や建築業界、飲料業界など共通する社会問題は何かなと考えた時に、医療・環境・健康といった問題もある中で、スポーツは全部の業界に関係がありますし、自分が一番好きなことでもあります。複合的に多業種に携われるスポーツを専門とした仕事をしていきたいなと思うようになりました。

それで、私は筑波大学の大学院に行ったんです。しかし、もともとMBAを取りに行くつもりでした。スポーツビジネスでレアルマドリードのことを研究しようとしていたんです。世界のサッカーマーケティングのことを研究しようと。それで大学院のMBAに入ろうと思い願書を取りに行った当日、現在日本サッカー協会会長の田嶋幸三先生が教鞭をとるポスターを大学で見たのです。田嶋先生は私の憧れの人だったので、田嶋先生が教えてくれるのだったらビジネスは自分で勉強すればいいと思いなおし、その場で願書を取り換えて体育研究科のスポーツ健康システム・マネジメント専攻を志願し合格しました。それからは、スポーツの方にどっぷりつかっているんです。もし願書を取りにいったあの日、そのままMBAを取りにいっていて、当時は会社も辞めるつもりは無かったので、今はどうなっていたのだろうと考える時がありますが、あの時変えて本当によかったなと振り返って思います。

今スポーツ業界にはどういうニーズがあると思いますか?

私から見て、今はどんな業界でも何かしらスポーツに関連を持たせられると思っています。健康産業が一番分かりやすいですね。企業側にとっても福利厚生として健康に働いてもらえるのが一番良い訳ですから。健康でいるには3つのポイントしかないわけです。運動・食事・睡眠、この3つのバランスを取ることです。だから運動をしないといけない。運動は何でも良いんです、ジョギングでもウォーキングでも。今ある自分より少し運動する、それによって健康のバランスが良くなればより働けるようになるわけですから。病気になって社員が働けなくなってしまったら企業にとってもリスクじゃないですか。

健康とスポーツは繋がっていて、それによってニーズが出てきて、付随してビジネスにも、何かしらの商品が生まれてきます。ITの世界でも革新的なデータがとれてきていますので。その数字的な根拠があって、コスト効率が良ければ皆さんスポーツをするじゃないですか、損は無い投資なわけですから。

スポーツに関するお仕事をたくさん経験されていますが、やりがいを感じる時はどんな時でしょうか?

やりがいは全てに対して感じています。ただやはりオリンピックパラリンピックにおける東京招致が決定した瞬間は、何とも言えないやりがい、達成感、全部を含めてありました。感情的な意味で一番動かされたのはあの瞬間でしたね。ただ、この職業に関する幸福感というものは常にありますよ。

今のような仕事を始めたのも、考えることが仕事になればいいなと思っていたんです。企業で働いている中で、企画とかでも考えるわけですけど、考えている時間って生産性はゼロですよね。でも考えている時間って大切じゃないですか。考えている時間がお金になるって考えたらすごい得だなって思ったんです。研究者は考えることが仕事なので、先ほどのように健康産業について考えたり、論文を書く際も考えますし、学生に教えることも考えることですし、考えることが仕事になっていることが有り難いんです。

考えることが仕事、これが日常であることが、やりがいというより有り難いという気持ちになっています。もう少し付け加えると、研究者なのでただ考えるのでは無く考え抜かないといけません。人と同じことを考えていても仕事になりませんので。人と違うことを考え、そしてその先を考え抜くというところまで出来た時、考え抜くって面白いなと、仕事にして良かったなと思います。

仕事をする上で大事にしていることは何ですか?

仕事を受けた以上、1円でも貰うならプロフェッショナルな仕事をする、ということです。どんなお仕事でもお金を頂く以上プロなので、これは自分のポリシーです。

これは大学院時代に教えてもらったことですが、プロのアスリートというものは、お客さんから1円でもお金をもらった以上、プロとして全力を尽くさないといけない。試合の観戦料金は様々ですが、別にそれが高い安いは関係ない。選手はそこで試合をする喜びを感じているわけですし、だから良いプレーを見せる責任がある、それがプロフェッショナルなんだと。1円でも貰えるならプロフェッショナルとしてプレーをする、そういう話を聞いた時、プロのアスリートってすごいなって思ったんです。でもアスリートに限らず全ての職業に当てはまることですね。それが最も自分が伸びますし、相手にとってもフェアだと思います。

ご自身が学生の時の就職活動はいかがでしたか?

就職活動はすごく苦労しましたよ。みんな悩んでいると思うんですけど、就職活動ってなぜ自分が落ちたか分からないことがあるじゃないですか。あれが一番嫌ですよね笑。基本的に面接官からのフィードバックが無いわけですから、何が悪かったんだろうっていうことを考えて、志望動機を変えたりしなくちゃいけない。どこかで割り切ってこれでダメだったら仕方ないって思えるまでに行き着くまでの葛藤って、就職活動ならではのものですよね。自分自身もすごく悩みましたし、鍛錬されたなと思います。

就職活動っていうのは難しいですし、なぜ落ちたのかも分からないので気にしない方がいいよって学生には伝えています。後からいくらでも挽回できるのは事実なので。1社目に入った会社で人生が決まるわけではありません。私自身もこうやって職を変えてきていますから。新卒で会社に一度入るとその会社=社会って思ってしまいますけど、他の会社に行ったら今までの常識が非常識になることもありえますからね。それは世界中どこに行っても言えることです。

今後の目標や夢を教えて頂けますか?

スポーツって日本の中だけのイメージが強いと思うんですよ。そういう意味で“グローバル”という事を研究者としてどう考えていくのか、この20年くらいのテーマになるだろうなと思ってやっています。今の学生自体が海外へ行かないですからね。でも政府や企業は“グローバル”って言っていますので、僕ら研究者も本気で“グローバル”を考えないといけないですし、やらないと分からないことがいっぱいあります。これからずっとチャレンジしていきたいなと自分自身は思っています。

夢っていうと、意外と難しいなとも思っているんです。大学に通っている時だったら“こういう風になりたい”とか明確に言えたんですけど、実際こうやって夢が現実になってしまうとこれが日常になり不満も無いんですよ。プラスアルファでもっとがっついていくか、っていうとそういう年でもないですし、がっついた先のものを見出せていないんですよ。見出すことがかっこいいと思わなくなっちゃったんですよね。今は学生達を見ていてこの子達がどうなっていくんだろうとか、考えて見ている方が楽しいですよね。昔は自分が全てだったんですけれど、今は視点が自分から学生に向くようになったんです。客観的に“We”な視点で周りを見れるようになった気がします。

研究者という仕事を通して学生と関わる魅力を教えて頂けますか?

私自身、河野一郎先生や田嶋幸三のような先生や諸先輩がいなかえれば今ここにはいなかったでしょうからすごく感謝しています。このご恩は先生に返すというわけでは無く、今度は自分が学生に向けて返していきたいなと思っています。昔は自分自身の成長が100%だったんですが、今は自分より学生の方が割合が大きいんです。自分のことはできて当たり前でやっている感じ。この感覚はこの仕事だからこそだと思う。サラリーマン時代には味わえませんでした。だから今この切り分け方ができているんだろうなって思って生きています。

会社辞めた理由の一つに、自分はいつか若い子に抜かれるなって思ったんです。マーケティングって時代の最先端を追う仕事なんです。だから自分も若い時は、若気のいたりでぐいぐい、自分の若さやセンスを活かして仕事をとってきましたから。でも時代は急速な勢いで過ぎていくわけで、いつか自分がそうやってきたように、これからの若い子に抜かれるなっていうのを30代の時にひしひしと思うようになりました。センスを使うこの商売じゃダメだなと思ったんです。だったら今みたいに若い子の横にいて、もっとすごい子を育てていく。そう考えたらすごい楽しい人生だなって思えたんです。

まして今教えている学生のご両親と、同年代に相当します。そういった学生と話さなくちゃいけないってなった時、最初はどうしようって思いましたよ。部下だったらもっと分かりやすくストレートに言えたと思うんですよ。でも学生って部下でも無いですし、社会人でも無いので。電話の取り方も、名刺の受け渡し方も知りませんから。そこにジェネレーションギャップもあって、普通だったら「最近の若者は」で終わっているようなこともあります。でも、学生って若いことだけでも、新しいじゃないですか。

学生とは部下と上司という関係でもないですし、しがらみも何もない関係の場にいます。彼らとコミュニケーションを取ると、今そういうこと考えているんだという新たな感覚を受ける発見もあります。年をとらないとまでは言わないですけど、この間柄の感覚が分かるだけでも面白いですし、会社では絶対得られない感覚でしたからね。ここは教育の場なので学生と一緒に実践することもできるんです。特に、ゼミではクローズな環境となります。だから、大学教授は面白いんです。