プレイヤーインタビュー

身近な等親大モデルの存在になれたら。

二ノ丸 友幸

Work Life Brand

代表

「あいつみたいになりたいな。」「あいつができるんだったら自分もできるかな。」というような、身近な等親大モデルの存在になれたらと思っています。

プロローグ

大阪の啓光学園中学校(現:常翔啓光学園中学校)でラグビーをはじめ、啓光学園高校で準優勝を経験。入社した株式会社クボタではラグビーと仕事を両立しながらジャパンラグビートップリーグ・クボタスピアーズでプレーをし、2005年に現役を引退。引退後はクボタの社員として様々な部署を経験し、昨年2016年10月に独立。現在「Work Life Brand(ワークライフブランド)」という会社を立ち上げ、再びラグビーの現場に戻り指導者としてコーチングを主としたコーチコンサルティング事業、企業研修や講演活動などの人材育成事業、また企業4社の顧問アドバイザーや大学の非常勤講師など事業は多岐に渡ります。今回取材をさせて頂いたのは、先日11月19日(日)に行われた全国高校ラグビーフットボール大会奈良県大会決勝で2年連続11回目の優勝を決めた強豪御所実業高等学校ラグビー部。二ノ丸さんは現在この御所実業ラグビー部にコーチとして携わっております。(2017年10月取材時)

現在のお仕事を教えて頂けますか?

私は2016年9月末まで約15年間、株式会社クボタに勤めていました。そして同じ年の2016年10月に独立して「Work Life Brand」という会社を立ち上げました。独立して約1年が経ったところです。事業の大きな軸としては、コーチング・コーチコンサルティング事業、人材育成を主にした研修講師事業や大学の講師もしています。他にもクボタで企業ブランディングや広告宣伝といった仕事に従事していたこともあり、現在4社ほど顧問アドバイザー契約をしています。この顧問アドバイザー契約をしている中の1社の仕事では、多くの学生が集まる就職の合同企業説明会で、学生に対し社会人になるにあたって大事なことを話すセミナーやトークショーもさせて頂いています。自分自身アスリートとしてやってきて、サラリーマンも経験して、その後独立して、そういった経験の中で「あいつみたいになりたいな。」、「あいつができるんだったら自分もできるなか。」というように学生にとって身近な等親大モデルの存在になれたらと思っています。

現役時代からセカンドキャリアについて考えられていたのでしょうか?

昔から現状満足ができない性格でした。例えば今うまくいっていてもいずれこの波が途切れ、次にチャレンジをしないとダメだな、ということを常に思っていました。小学校の時は中学校の事を、中学校の時は高校の事を、高校の時は大学の事を、というように。カテゴリーが変わるにつれて環境が変わっていくので、その時にうまく対応するために今の環境で生活している時に次の準備をしておく、昔から気付けばやっていた習慣でした。私は現役の時からクボタに勤めていたんですけれど、まず現役を引退したらクボタできちんと仕事をして、管理職に昇格したら退職し、独立しようとキャリアデザインをしていました。

こういった目標設定を小さい頃からできるようになったのは、両親の教育のおかげです。“次に何をすべきか”とか、“次はどうしたいか”など、自分で考える時間を与えてくれました。親が“こうしろ”、“ああしろ”と全ての道を示すのでは無く、自分が何をしたいのかを考え、言える環境を与えてくれました。もちろん親としての意見も言ってくれながら私が進みたい道に後押ししてくれるような環境がありました。小さい頃から自分がやるべき事はまずは自分で考え、自分で決める、ということが習慣化していたように思えます。私は中学受験をしたんですけど、中学受験をするということも自分で決めて、塾も自分から行きたいと言って行かせてもらって、志望校も自分で決めました。そういった自分で考える力や目標設定していく力を養えたのは両親の導きのおかげであり、今の自分の土台になっていると思います。

現役生活を終えて会社員として仕事をされ、苦労されたことはありましたか?

社会に出た時に、仕事以外のところでよくある大きな悩みは人間関係ですよね。でも私は幸いそういった悩みを持ったことがあまり無いんです。ラグビーと仕事を両立することに対して、入社当時の上司や同じ部署の先輩は理解をして応援してくれたんです。そのためすごくやりがいを感じながら新入社員の当時から生き生きと生活していたという記憶があります。もともと、社会人というカテゴリーでは、ラグビーと仕事を両立してやっていきたいと考えていたので、自分の思うように道を歩んでいけて不安は無かったですね。

ラグビーとは違うお仕事をする中で、やりがいを感じたことはどんな時ですか?

私は初め法務部に配属されました。社内のトラブルを解決したり、契約書のチェック、自分たちで対処できない問題は顧問弁護士に相談するなど、会社と弁護士の懸け橋となるような、一見固い仕事に従事していました。でも大学は商学部でしたし、そんな専門知識があるわけでは無かったんです。そのためこの部署に入ったからには勉強しないと何もできない、法律の勉強をしないと自分の良いところが何も生きてこないという環境でした。そこで法律を勉強し資格を取得するなど、大変でしたが、ラグビーをしながら勉強させて頂き、社会人としての自信をつけて頂けたように思っています。

法律関係の勉強に対して、拒否反応は無かったのですか?

もともとラグビーと仕事を両立できる会社とういうことで選んだ会社なので、「こんなのやってられない」ということは全く思わなかったですね。とくにかく負けず嫌いなんですよ。ラグビーをやっていた時も、「あいつはラグビーは凄いが勉強は・・・・」と思われるのが嫌でした。その気持ちが自分のエネルギーの源かもしれないですね。

現役を引退されから一般企業で働いて、今またラグビーの指導者というお仕事をしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

好きなことをして生活できるってすごく理想じゃないですか。プロ野球選手や、Jリーガー、芸術家やカメラマンさんなど自分の好きなことを仕事にできていることが理想だなって昔から思っていました。でもそういった話を両親などにすると、そんなことができるのはほんの一握りの人間だけと言われるわけです、才能がある選りすぐり一部の人だけだって。でもそういう人たちが存在するんだったら自分も努力してそういう人たちの一員になりたいっていう思いが自分にはありました。60歳、70歳まで仕事をしないといけないと考えた場合、好きなことを仕事にできた方が人生楽しいし、本気で取り組めると思うんです。人生一度きりなので、自分のライフスタイル、キャリアデザインをきちんと確立したうえで、好きなことにチャレンジしていきたいなとずっと思っていました。

今就職活動や転職活動をしているアスリートや求職者に向けてアドバイスを頂けますか。

私自身、現役を引退してからも色々とメディアに出させてもらう中で、就職に関する相談を受ける機会が多くなりました。現役の選手だけではなく、大学生などもいったんスポーツを退いて一般企業に就職するかどうかの相談など、大きな選択肢の相談です。現役選手からも引退が迫ってきている中でどうしたらいいか、という相談はこの半年間で増えてきました。

まず自分が何をしたいかという、ビジョン、将来像、ゴール、何年後にはこういうことをしていたい、こういう自分になっていたい、というものを描くべきだと思います。私は自分が描いたゴールを達成すべく、ゴールから逆算して積み上げていく逆算方式でのアプローチで物事を進めていくのが賢明かと思います。でも、人によっては将来像やゴール自体も描けないこと人もいると思います。もしラグビーだけしかしていないとラグビー以外の将来ビジョンが描けないかもしれません。よって、ラグビーをしながらも色んな人に会ったり、社会人であれば社内外問わず、様々な業種の方々と交流し、学生であれば練習以外に色んな人と遊んだり、交友関係を広めるということが必要だと思います。色んな所に自分から出向いて色んな情報を集めていかないと、視野が狭く選択肢が少ない状態になってしまうので何をしたらよいか悩んでしまうのでは無いでしょうか。能動的に、主体的に、アクションを起こすべきかと思います。

今の指導者というお仕事の中で思い出に残っていることややりがいを感じていることは何ですか?

今、大好きなラグビーの仕事をすることができているのも、私に指導力がある、コーチングが良いなどではなく、まずは人との繋がりがあるからこそオファーを頂けていると思います。結局どれだけ自分に力があっても人との繋がりがなければ、お声もかけて頂けない。今日、取材の現場をこの御所実業のグラウンドに指定させていただいたのは、この御所実業がコーチとしてのキャリアを歩めている原点だからです。

現在お陰様で複数のチームと契約させて頂いていますが、コーチ駆け出しの頃、U-17日本代表選手を選考する近畿圏内の候補選手を招聘した合宿にスタッフコーチとして送り込まれたのですが、その時にこの御所実業の生徒が数人来ていたんです。最終日に御所実業の生徒から「丸さん、御所実業に来てくれませんか?」って言われたんです。相手は17歳ですしその時は私の方からあしらうかのように「そんなこと言ってもらっても竹田監督が了承してくれないと成り立つものでは無いしね。」というように返したんです。ただ連絡先だけは交換して、その生徒達は「先生にお願いしまーす!」って言いながら帰って行ったんですよ。

すると、今でも忘れない、翌日の朝8時半に竹田先生(御所実業高等学校ラグビー部監督)から電話を頂いて、まずは「うちの生徒がお世話になったな。」と言って下さったんです。「その生徒から電話番号を聞いて連絡したんだけど、生徒が朝から教官室に来てな、二ノ丸さんっていうコーチにお世話になったって。御所実に呼んでほしいと言ってるのよ。」と。私は大阪の啓光学園出身なんですけど、御所実業のライバル校のような存在なんです。その辺りも竹田先生は気にしてくださって、「啓光OBとして御所実業に来るのは難しいよな。」って言って下さって。啓光学園の恩師(記虎監督)も後押しして下さったお蔭で迷うこと無く決断をすることができ、「そんな光栄なことはありません。勉強させてください!」と返事したのを覚えています。

よって今の僕があるのは何も僕の力ではなく、御所実業のコーチをしているという信頼、信用があって色々広がっていったと思っています。本当に自分のやりたいことの一歩近づけてくれたのは御所実業の生徒であり竹田先生であるなと思っています。大人からのオファーっていくらでもあるじゃないですか。大人の事情でのオファーではなく、実際に僕のコーチングを受けた選手自身から求めて来てくれたことが、僕の宝物になっていますね。
ちなみに後から竹田先生に聞いたんです、なんであの時私に電話して下さったのかと。竹田先生は「自分が信用、信頼するする選手(生徒)がそうやって言ってきたんやったらその気持ちを大事にしてあげたい。だからマルにかけたんや。」と。これが私の原点であり宝物であって、今後もこのようなオファーをもらえるようにやっていきたいなって思います。極端な話、監督、コーチにクビにされても、選手に「マルさんは必要!」と思ってもらえるような存在を目指したいなって思います。

竹田先生は自分の道しるべとなるような恩師の存在。私は講演でもよく話すのですが、自分の両親や家族以外に苦言を呈してくれ人を多く持つほど自分自身が成長すると思っていいます。苦言を呈してくれるということは、私のことを本気で思って本音で話してくれているということじゃないですか。また今高校生を相手にしているので、最初は高校の現場を知らないことが多かったんです。そういった時に高校生とはこういうものなんだよって、高校生はこういうことに気を付けなければいけないとか、竹田先生から高校生を指導する上で大事なことを教えてもらえるので非常に光栄です。

最後に、二ノ丸さんの今の目標を教えてください。

自分のやりたいことを死ぬまでやっていきたいなと思っています。その中で自分のやっていること、仕事が他人から感謝されることになれば尚更いいなと思います。自分のやりたいことだけをやる、自己満足で終わらせるのではなく、自己満足でやっていたことが誰かに幸せを与えたり、誰かに感謝されるなど、そういう人間になりたいと思います。
コーチングの仕事に関しても、選手から「丸さんに出会えてよかった。」とか、契約しているチームの監督から「お前に来てもらえてよかった。」など、他人から感謝されることが増えれば、自分も沢山感謝の気持ちを抱けます。そもそも、オファーがないと成り立たない仕事なので、感謝する気持ちは日々感じています。それだけでも、独立後に、人間成長できた部分ではないかなと思います。自分自身も感謝やお陰様という気持ちを常に忘れずにこの先もチャレンジしていきたいと思っています。

最後に、私の一番の指導者は今でも両親です。本当の本音を言ってくれるのはやっぱり両親。今でも時間を見つけては会いに行ってます(マザコンじゃないですよ。笑)。
ただ、毎回、いろいろ説教され、腹を立て喧嘩して帰るんですけど、それでもまた話をしに行っちゃうんです。自分が独立してからも自分の言動や立ち居振る舞いなど、確認をしにいっているのかもしれませんね。
まだまだ、自信がないのですね、、、、
頑張ります!