アルビレックス新潟シンガポール
松田 健汰
プロローグ
今回ご紹介するのは、Albirex Singapore Pte.Ltd. の松田健汰さんです。
京都の龍谷大学を卒業後、サッカーJリーグクラブのアルビレックス新潟に新卒入社。
プロのスポーツチームに学生から新卒入社をする事は、極めて稀なケースであるとされています。
そんな中、松田さんは学生時代をどう過ごし、どのようにしてアルビレックス新潟への入社を果たしたのでしょうか。
ご出身も大学も関西ですよね?アルビレックス新潟にはご縁があったのでしょうか?
生まれは母の地元である奈良県だったんですが、住み始めたのは石川県の金沢市。
製薬会社に勤める父の影響で、転勤に伴う引越しが5年おきくらいにあったんです。
幼稚園から小学2年生までは広島、続く5年間が新潟でした。新潟に移って間もないタイミングで、2002日韓W杯が開幕し、新潟にも開催スタジアムがあり非常に盛り上がっていたんです。それをきっかけで、アルビレックス新潟のサッカースクールにも入団し、Jリーグの試合にも度々観戦に行くようになりました。当時J2としては異例の毎試合サポーターが4万人超になるホームスタジアムの雰囲気が大好きでした。
そんな大好きな新潟も、また転勤で離れる事になったんでしょうか?
はい、中学校2年生になる頃に奈良県に移り住みました。この時に転入した公立の中学校が、偶然にもサッカー部が強豪で、将来を考えるきっかけになりました。というのも、転入後まもなくして夏の全国中学校サッカー大会に出場する事になったのですが、名門の国見と対戦したり、現日本代表の柴崎岳選手をはじめ、後にプラチナ世代と称される名選手達のプレーを間近で見て「こりゃバケモンだな」と(笑)。その後も奈良県内ではサッカーの強豪とされる高校に進学しましたが、やはりプレーヤーとしてプロになるのは難しいなと身に染みて感じました。
もともとアルビレックス新潟のプロ選手になる事が小学生の頃からの夢だったのですが、先述の通りそこには限界を感じた中、「フロントスタッフとしてアルビレックスで活躍したい」という新たな夢が高校生の時に芽生えました。ちょうどその頃、新潟のスタジアムは以前ほどの観客数が無くなってしまっていたので、自分の力で2000年代初期の活気を取り戻したいという想いに。関西の奈良県に居ながら、あれ程までにアルビレックス新潟の事を考えていた高校生は、私くらいだと思います(笑)
実際に夢の入社を果たすために、どのようなアクションを起こしたのですか?
まずはスポーツビジネスを学ぶ事のできる大学・学部に進学しました。
でも苦悩が多かったですね。体育会サッカー部にも入部し、アルバイトの両立もしていた中、気がついたらあっと言う間に1回生が終了してしまったんです。毎日同じルーティンで、徐々につまらなさを感じ、このままだとアルビレックスで働くのは不可能だろうと焦り始めました。何か新たな事にチャレンジをしない限り、ずっとモヤモヤするだろうなと。
そんな時、ふとスマートフォンに「アルビレックス新潟がバルセロナで留学プログラム参加者を募集」というような記事がでてきたんです。タイミング的にも、私にとってドンピシャでしたね。私の為に作られたプログラムなんじゃないかなと、運命を感じました(笑)
休学や費用面も含め家族におそるおそる相談した所、「こういう挑戦をしとかないと、アルビで働くのは無理やぞ」と背中を押してくれました。募集の記事を見てから決断まで、物凄いスピード感だったと思います。
どのような留学プログラムだったんでしょう?
当時、【サッカーを通じて世界基準の若者になる】というテーマの元、私ふくめ12名の若者が約11ヶ月間、スペインのバルセロナで寮生活をし、語学の習得やサッカーに携わる方々からのセミナーを受講しました。また、州の社会人リーグにサッカーチームを創設し、練習や試合にも取組んでいました。年齢は、当時20歳だった私が最年少で、最年長でも27歳。帰国後は日本でサッカー関連の仕事に就く人、スペインに残ってあちらで働く人等が同期にいましたね。
松田さんはそのプログラムで何を得ましたか?
「不安が自信に変わる経験」だと振り返っています。あまりにもハイピッチで留学を決断してしまったんですが、実はそれまで海外に旅行ですら行った事がなかったんです。留学を申し込んでから出発が近づくにつれ、語学面や生活面など様々な不安に苛まれてましたね。それでも実際にスペインでの生活がはじまってみると、色々な人から「どんどんチャレンジした方が良いよ」と常々アドバイスをもらい、何事にもまずは挑戦するマインドになりました。積極的に現地の人達にも話しかけていく事で、気づいた頃には当初抱いていた不安はとっくに解消され、アグレッシブに動ける人間に成長したと感じました。
サッカー業界での人脈形成にも役立ったんでしょうか?
そうですね。まずひとつは、アルビレックス新潟の現代表取締役社長である是永大輔が、当時定期的にバルセロナで面談を実施してくれていました。その際に「アルビレックスで働きたい」とアピールを続けていましたし、彼との面談はモチベーションになってましたね。
あとは人脈というよりか経験談としては、2014年のFIFAワールドカップに向けたアディダスのCM撮影があり、アルゼンチン代表のリオネル・メッシ選手(FCバルセロナ所属)と対峙する日本人選手役として、我々のチームが選ばれたんです!しかも自分がメッシ選手にタックルをする配役となり、めちゃくちゃ緊張しましたね(笑) 今となっては貴重な思い出です。
留学プログラムの後はどう過ごしたのですか?
スペイン語を習得できた事を活かし、日本で開催されたクラブワールドカップの通訳インターンシップ等、様々なインターンシップに挑戦しました。アルビレックスに入社したいという一心で取組んでいましたが、肝心の就職活動の時は情けない事をしてしまったんです。というのも、一般的に就職活動が開始となる4回生の春頃、アルビレックスのクラブハウスに新卒入社の問い合わせをしたところ、「実施していません」と言われ、私も「そうですか。分かりました。」と、なんともあっさりと終了させてしまったんです。そこからは、うわの空状態でスポーツ用品販売店等の選考には進みましたが、いまいち熱意が湧いてきません。しばらくした頃に、偶然に先述の是永と数年ぶりに再会する機会があり、就職活動の現状を伝えたところ「情けないなぁ」と喝を入れられました。おかげで再度アルビレックス入社への熱意を取戻し、クラブからの募集はしてないけれど、何かアルビレックスに近づく手法はないかと模索し始めました。そして、スポンサー企業である教育関連の会社から出向という形で近づく事はできるのではと思い付き、そこの会社の選考を受けました。
そちらの面接ではどのようにアピールしたんですか?
アルビレックスに入社したいですと言い続け、見事に落ちました。。笑
そりゃそうですよね。会社が違いますから。グループ面接の他の学生からも変な目で見られてたと思いますよ。でもそこで奇跡が起こったんです。不採用通知をしてくださった人から「うちは不採用だけど、アルビレックスの人事に繋いでおきますね。」と言われ、選考を受けれる事になったんです。それをキッカケに、夢であったアルビレックス新潟への入社が叶いました。留学時に学んだ「挑戦する事の大切さ」が活きたなと感じています。
今はどのようなキャリアを歩んでいるのでしょうか?
入社後、数ヶ月間はサッカースクールを担当し、1年目の冬になった頃、私も参加したバルセロナ留学プログラムの担当スタッフが退職する事になり、そこの後任に指名されました。そこの部門は、シンガポールを拠点としたプロサッカークラブ「アルビレックス新潟シンガポール」が運営する組織となります。まさか1年目から海外勤務になるとは思っていませんでしたが、まずは何事も挑戦したい思いが強かったので、二つ返事で決意しました。異動後はシンガポールのホームゲーム運営等にも関りながら、私のメイン業務である留学プログラムの業務に従事しています。昨年、バルセロナ留学の活動拠点として「アルビレックス新潟シンガポール渋谷」を設立し、拠点を日本に戻す事になったので、自分の経験や留学プログラムの魅力、そしてアルビレックス新潟の事をもっと発信していきたいなと思っています。自分をはじめ若い世代が率先して、サッカー界をリードしていけたら嬉しく思います!
《文:Next Connect / 竹内一平》
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