企業インタビュー

ラガーマンが、サッカースクールを海外展開 !?

HONDA ESTILO CHINA

代表 / 大島 康経

ラガーマンが、サッカースクールを海外展開 !?

■プロローグ

 今回紹介するのは、弊社Next Connect株式会社と同じグループ組織に所属する「HONDA ESTILO CHINA」で代表を務める、大島 康経さんです。中国の上海において、サッカースクール“SOLTILO FC SHANGHAI”の運営等をおこなっています。学生時代にはラグビーに取り組み、日本体育大学を卒業後は体育教師としてのキャリアを歩んでいた中、どのようにして同学年の本田圭佑と出会い、現在のポジションへと辿り着いたのでしょうか。

■現職ではサッカースクールに深く携わっていらっしゃるので、てっきり学生時代はサッカー部かと思っていました。

 幼少期の頃から姉の影響もあって、体育指導に比重をおいた大阪の幼稚園に通うなど、体操をはじめとして身体を動かすという事がとにかく大好きでした。その後、中学時代ではボクシングを習い、高校時代からはラグビーに打ち込みましたね。サッカーと関わるようになったのは、体育教師としてサッカー部の顧問になってからなんです。

■ラグビーでは、海外でのプレーも経験されたようですね?

 大学生の時に1年間休学をし、オーストラリアのクイーンズランド州ブリスベンにあるクイーンズランド大学のラグビーアカデミーに所属をしました。日本代表経験のある五郎丸 歩選手や、前日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏も所属をしていた事もある「レッズ」というチームをトップとする組織で、当時で6軍まであったように記憶しています。

 自分自身、ラグビーをはじめたのも高校2年生の夏からで比較的遅かった事もあり、オーストラリアに着いてから暫くは周りとのレベルが段違い。毎日帰りたいと思っていた程です。しかしながら、スタンドオフという10番(司令塔)のポジションに強いこだわりを持ち、何とか這い上がろうと自主練習で毎日汗を流しました。現日本代表では、田村 優選手らが活躍しているポジション。ラグビーの場合は他の競技と比べ、フィジカル面でのアドバンテージが非常に大きく影響をします。私の場合、スクラムを組むような大きな体格でもなく、かといって脚力もウィンガーとしては物足りない中で、司令塔は冷静な判断力やゲーム展開を読む「知識面」、パススキルやキック精度といった「テクニック面」が重要視される”10番”に適性を感じました。また、先天的要素の高い体格よりも、自分の努力次第でいくらでもスキルアップが可能な部分で勝負ができる点も、必死に打ち込む事ができた理由だと振り返っています。その結果、最終的にはトップの一つ下のチームにおいて、プレミアリーグというカテゴリーまで這い上がる事ができました。

■日本への帰国後は、体育教師の道に進まれたのでしょうか?

 高校時代、多感な時期だった自分を、真っ当な道に導いてくれたのが、ラグビー部の監督でした。その先生にずっと憧れがあり、体育の教員免許が取得できる日本体育大学へ進みました。卒業後は、東京都内の高校に赴任し、レスリング部の副顧問を務めました。そのレスリング部は、代表選手を輩出するような強豪校で、色々と学ぶ点が多々あり充実した毎日だったのですが、、、私自身どうしてももう1度、海外でラグビーに挑戦してみたい思いが強く、年度区切りを迎えたタイミングで、再度日本を離れる決意をしました。

■以前と同じオーストラリアではなく、世界最強と謳われる”オールブラックス”の国、ニュージーランドに行ったそうですね。

 そうですね。前と同じ場所だと甘えがでるかなと思った為、思い切ってニュージーランドを選択しました。現地でトライアウトを受け、カンタベリー大学が保有する社会人チームに所属しました。周りのプレーレベルもオーストラリア時代よりさらに高い環境で必死にもがいていた中、僅か2ヶ月間で去る事になりました。理由としては、試合中に手首を複雑骨折してしまったんです。接触の瞬間も記憶がなく、医学界でも前例がないほどの大怪我だったそうです。(その後、この件での手術症例が医学学会で発表されている)
もちろん突然の引退でした。

■そこから現在のお仕事に至るまでは、どのような経緯だったんでしょうか?

 日本に帰国する前に、姉が住んでいた上海に寄ったんです。すると姉の知人から、上海の日本人学校で高校の体育教師を1名探しているという話が、偶然にも入ってきました。もちろん、当時の私は上海に住んだ経験なんてなく、中国語も全く無知の状況でしたが、自身の長所ともいえる挑戦心も助長し、引き受けてみる事にしました。いま振り返ると、ニュージーランドで活躍する自分をイメージして日本を飛び出した中、怪我が原因であんなにも早く日本に帰国してしまう事に対し、自分自身どこか抵抗があったんだと思います…。

 そこの学校に赴任してから担当したのが、サッカー部の顧問でした。冒頭にお話した通り、そこがサッカーと携わり始めたキッカケ。赴任してから3年が経った頃の2015年夏、当時ACミランに所属をしていた本田選手が、プレシーズンの試合を行なう為に上海に来ていました。(インターナショナル・チャンピオンズ・カップで、レアル・マドリ―と対戦) 本田選手と私が同学年で、かつ地元が同じ大阪という事もあり、共通の友人がいたんです。そういった縁もあり、その友人が仲介となって本田選手と一緒に上海で食事をする事になりました。その際に、未だ日本国内のみの展開に留まっていた「SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL」( = 本田圭佑プロデュースのサッカースクール)の海外進出について相談を受けた事が始まりです。私もその時は高校教師の業務があったので、最初は全て手伝いレベルで市場調査等を引き受けていました。そこから彼と何度もディスカッションを重ね、会社のビジョンにも共感しました。それから2016年6月にHONDA ESTILO CHINAを立上げ、私が代表へと就任。本格的に本田圭佑プロディースのサッカースクールを海外展開していく事となりました。

■共感された会社のビジョンとは何だったんですか?

 「サッカー(スポーツ・教育)で世界中に夢や希望を与え、感動させ続ける」というものです。日本人のみでなく、世界の人達を巻き込もうとしている点に、非常に魅力を感じました。2016年9月に我々のグループで海外1校目となるサッカースクールを上海に立上げてから、現時点で8校のスクールが海外で展開され、ありがたい事に2019年夏には「Football Heroes Awards」というサッカー界の国際的な組織からも、教育に関する部門においてグランプリを受賞させて頂きました。
 しかしながら、私たちが掲げるミッションはもっと先にあります。そのひとつとして、サッカーを真剣に習いたい、上手くなりたいというすべての人達に対し、無償で教育を提供したいと、本気で思っています。もちろん教える側のコーチも、給与がなくては生活ができないですし、優秀なコーチにはスキルに見合った報酬を支払う必要がある事は、重々承知しています。ただ、給与のベースとなるお金は生徒から頂くのではなく、民間企業の特性を活かし、スポンサー収入や別事業でそこを賄う事ができるのではないかと考えています。まだまだそこのステージに向けては課題が山積みですが、我々の思いに賛同して頂ける仲間を募集しています。

■上海校では幼児カテゴリーの立上げスタッフも募集しているそうですね。

 日本だと小学校に入る前段階から、色々と習い事を通じて身体を動かす環境があると思うのですが、上海ではあまりそういった光景が見られません。そこで今回、我々が率先して2~3歳児を対象としたサッカースクールを開始しようとしている中、良い人材の採用に苦戦しているという事実もあります。就労ビザの関係上、大学を卒業後に2年間以上の就業経験がある事が必須条件としてはあるものの、採用要件としては意欲や人間性を重視した採用を行ないたいと思っています。語学の部分は中国語を話せるに越した事はありませんが、私自身も全く話せないところからスタートしていますし、まずは通訳らとの会話を通じて徐々に学んでいってもらえれば大丈夫です。

 スクールでの指導業務のみならず、施設管理や人事マネジメント、スポンサーの獲得等、スポーツ関連の業務を日本国外で携わる事ができ、経験値としては非常に高い機会のように思います。ここでは伝えきれない、さらなる魅力等は、Skype等を通じてじっくりお話しさせて頂く事も考えています。我々と一緒にサッカーで世界中に夢や希望を与えたい人に、ぜひ応募をして欲しいと思っています。どうぞ宜しくお願いします。

《文:Next Connect 竹内 一平》2019年12月 執筆

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