プレイヤーインタビュー

波乱万丈の野球人生に打ち勝つ「MY WIN」

土地家屋調査士 / 林 一茂

元野球選手

波乱万丈の野球人生に打ち勝つ「MY WIN」

プロローグ

今回紹介する人物は、高校野球全国大会「夏の甲子園2005年」決勝等で活躍をし、現在は土地家屋調査士としてキャリアを歩む、林 一茂さんです。
京都府出身の林さんは、京都外大西高校在学時、現在日本を代表する左腕でもある大野 雄大投手(現-中日ドラゴンズ)と同学年で切磋琢磨し、プロ野球での活躍を目指してこられました。
24歳で現役を退いてから現在に至るまでの約7年間、野球とは全く異なる「登記・測量」等の分野で努力を重ね、国家資格でもある土地家屋調査士を取得。独立を果たした現在は、再び「野球」に関する夢を持ち、メンタルの観点から野球界への貢献を目指しています。

野球において重要なポイントを「メンタル」だとお考えなのですね。

はい。少なくとも私の経験上はそうでした。もちろん技術的な事も重要ではありますが、私の場合は「いかに野球に専念するか」といった思考の部分で、集中できている時は好成績でしたし、反対に野球以外の事に意識が行ってしまい過ぎると簡単にレギュラー落ちなんて事も多々ありました。波乱万丈の野球人生ではありましたが、一貫して「メンタルを制するものが野球を制する」、「自分に打ち勝てる人が、試合で打ち勝てる」といったロジックは変わらなかったと振返っています。

どのような野球人生だったのでしょうか?

小学3年時に地元の野球チームでスタートしてから、イチローさんに憧れてプロ野球選手になる為に努力を重ねてきました。中学時には平凡な公立中学校ながら、京都府の大会で優勝する事ができたんです。そこで京都府の中で当時強豪として名のあった「京都外大西高校」から特待生のオファーを頂き、学費の面でも親孝行になると思い進学をしました。しかしながら、実は入学まもなくして野球部からの「退部」を真剣に考えたんです、、。というのも、中学時代は練習内容や生活環境といった様々な面で甘々。それがいきなり皆さんが想像のつくような厳しい高校野球部に入ったもので、精神的に難しくなってしまい、本当にリタイア寸前でした。

ただ、それを乗り越えて野球継続されたんですね。

きっかけとして、1年生時の夏にいきなりチームが甲子園の切符を掴んだんです。もちろん先述の状態だった私は試合に絡めずスタンドからの応援だったのですが、そこで他の1年生の選手が出場し、活躍。学年で唯一の特待生だった私からすると、その光景は悔しくて堪りませんでした。その日を転機として、何倍も熱心に野球に対してコミットするようになり、徐々に冬の試合でも活躍できるようになって順調な日々を過ごし始めた矢先、練習試合で指を負傷してしまうんです。今やメジャーリーガーにもなっている田中将大投手(現-NYヤンキース)を要し、夏に全国制覇を成し遂げていた駒大苫小牧高校と対戦した際、田中投手を差し置いてエースナンバーを背負っていた投手の剛速球を打った際、詰まった衝撃で指を負傷。当時メインポジションが投手だった私は、外野手への転向を余儀なくされてしまったんです。
それでも「そんな事で自分に負けるわけにいかない」という一心で、素振りで手が血で滲むまで努力をし、何とか野手として2年生の夏に甲子園のバッターボックス立つ事が出来ました!

その甲子園では決勝進出の快進撃。しかも決勝の対戦相手は因縁の駒大苫小牧だったとか。

はい、その半年前に野手転向のきっかけとなった相手です。デットボールで負傷した訳ではないので、恨みはなかったですが、今回はヒットを打ってやろうという意気込みは一層強かったですね。先発投手も先述の剛速球投手。観衆は5万人の超満員。地響きも凄かった中、いきなり第1打席でヒットを放つ事ができ、努力が報われた瞬間として本当に嬉しかった記憶があります。試合展開としても接戦になりましたが、私が剛速球投手から2安打目を放った事で、代わって田中投手が登板し、うちの打線は沈黙。惜しくも準優勝で終わってしまいましたが、その1年間での浮き沈みを考えると、個人的に気持ちは晴れやかでした。ちなみに同大会で「最多盗塁数」を記録した事は、走力に自信を持つ要因にもなりました。

高校卒業後はどうだったんでしょうか?

よりレベルの高い環境での野球を志し、関東の強豪大学に進学しました。寮生活では、今やプロ野球の第一線で活躍されておられる有望な先輩と相部屋にして頂く等、順風満帆かと思いきや、入学して早々に「自主退学」したんです、、。関西から唯一の野球部員といった環境面の影響もあり、あまりチームに馴染めなかった事が理由です。当時は「地元の大学に編入すれば良い」という安易な考えでしたが、現実は厳しく路頭に迷いました。
そんな中、知人の誘いでクラブチームで練習を続けていた時、「関西独立リーグ」の発足のニュースが届き、500名近いセレクションを勝ち抜いたドラフト指名により、大阪の球団へ入団。そこでは元プロ野球選手からの指導を受けることができ、夢であったプロ野球選手になる為の道筋が見え始め、2年間プレーする中で徐々にプロ野球のスカウトからも注目を集め始めてきました。そんな矢先、所属選手の不祥事によりスポンサーが軒並み撤退した事が引き金で、球団が突如経営難に陥り、消滅することが突如として決まり、活動の場所を「四国アイランドリーグPlus」に所属する香川オリーブガイナーズへ移す事となりました。

たしかに波乱万丈の野球人生ですね、、。

当時発足したてだった関西独立リーグとは違い、四国は既にプロ選手の輩出実績もあったので、チャンスに感じていました。移籍1年目のオープン戦ではチーム内で首位打者になる等、まずまずの滑り出しではあったものの、徐々に成績が下降。途中からはレギュラーすら外され、プロへの道が遠のいていきました。繰り返しになりますが、この時も「環境の変化」に順応できなかったメンタル面が不振の要因だったと思います。結局、2年目のシーズンも成績が安定せず、自身の区切りと定めていた24歳で現役を引退。私の野球人生においての発見として「いかに決めた事にメンタルをコミットするか」という大切さを何度も痛感しましたね。この波乱万丈の野球人生での失敗や学びを、つい先日野球を始めた7歳の息子や、プロ野球選手を目指す子ども達へ伝えていきたいです。

現役引退後は、国家資格でもある土地家屋調査士になったのですね。

実家の家業が測量関係だった事もあり、国家資格に挑戦しました。土地家屋調査士は、土地建物に関する登記や土地境界に関しての専門家です。土地の地目、地積、建物の種類、構造、床面積を、正確に登記する分野を受け持っています。今でこそ、すらすらと説明できますが、現役引退当時はサッパリでした(笑) ただ、野球で学んだ「コミットするメンタル」を活かし、朝3時半に起床して資格の勉強に取組む生活に切り換えた事も功を奏し、セカンドキャリア開始からトータルで4年間をかけて念願の「土地家屋調査士」になる事が叶いました。野球での苦い経験がなければ、絶対に果たす事ができていないと思います。

今後の夢について御聞かせください。

資格を取得後、2017年2月より独立して「ハヤシ登記測量事務所」を営んできました。幸い開業当初から、地域の草野球に助っ人として呼んで頂いたり、異業種交流会のような類にも、持ち前の明るさを活かして積極的に参加する等で人脈を広げることができ、順調にご依頼を承ってきました。そこで今回、妻や家族のサポートもあり、弊社のHPを立ち上げる事もできた為、より一層に事務所の繁栄に向けて尽力していきたいと思っています。
 また、先ほどにも少し触れた通り、私の波乱万丈な野球人生で得た経験を、子ども達へ伝えていく事により、野球界の発展に貢献する事が、今の私の夢です。特に自分自身に打ち勝つ精神を大事にして欲しいなと思っており、「MY WIN」という造語を作りました。この言葉と共に、自分自身もまだまだ成長を続けていきます。

《文:Next Connect 竹内 一平》2020年6月 執筆

関連情報

土地家屋調査士/林 一茂
ハヤシ登記測量事務所_公式HP
TEL 075-494-5135 

インタビュー本文にも話しがあった「野球から得た学び」や、セカンドキャリアでの取り組みを林氏自らが執筆した書籍「野球脳力2.0~あの頃の自分に伝えたい20のメッセージ~」。Amazonでの購入が可能。(書籍詳細URLはこちらをクリック)