プレイヤーインタビュー

アスリート学生の悩み解決!?    競技と夢の可能性。

元陸上トラック選手 / 林 理紗

株式会社Hanaspo

アスリート学生の悩み解決!?   競技と夢の可能性。

プロローグ

 今回紹介するのは、陸上トラック競技において日本選手権優勝等、数々の実績を残してきた林 理紗さんです。国内トップクラスの競技レベルを保ちながら、現役中にアフリカ「ケニアでのボランティア活動」等、競技以外の世界にも積極的に飛び込んで来られた林さん。競技生活は大学陸上部卒業を節目とし、2019年秋の日本選手権優勝をもって潔く引退。トップランナーとして、どのようにして競技以外の経験も積まれてきたのか。林さんのキャリアを振返りながらお話を伺いました。

どのような子供時代だったのでしょうか?

 1998年2月に北海道で生まれ、広い大地で一人っ子として伸び伸びと育ちました。今となっては、元陸上選手としてのイメージを私に持って頂いている事が多いと思いますが、子供時代は器械体操を約10年間以上。陸上を始めたのは中学2年の秋頃からと、少し遅めのスタートでした。器械体操は母親の経験競技という事もあって、何となく3歳から続けていたのですが、これといった具体的な目標を持てず、練習中は“心ここにあらず状態”がしばしば。抑圧的な指導者のスタイルと、私自身の反抗期も重なり、10年間以上も続けた器械体操を離れた矢先、「一緒に陸上でリレーを組もう」という友人からの何気ないひと言をキッカケに、中学の陸上部へ所属する事になりました。

陸上への転向後は、すぐに好成績だったのですか?

 いえいえ、全くです。入部したタイミングは、先輩も既に卒部していて練習も自由。ほとんど鬼ごっこで遊びながらの部活でした(笑)。転機としては高校陸上部への入部ですね。通っていた学校が「立命館慶祥」という札幌の中高一貫校だったのですが、高校になるとスポーツ推薦で数々のトップ選手らが入部してくる強豪校。先生らも推薦入部組を優遇してチヤホヤしていた事に反骨心が湧き「雑草魂で見返してやろう!」と思った事が転機だと振返っています。後に私の専門種目となるハードル走は、たまたま出場可能枠が空いて「ハードルやってみたら?」と周りに後押しされた事がキッカケ。試合にエントリーできる人数は、1校あたり1種目につき3名が上限なのですが、ハードル走であれば当時の私でもエントリーできたんです。今となっては奇跡的な流れですよね(笑)。目標をいまいち持てなかった器械体操の時とは違い、陸上では自分で設定したタイムをいかにクリアするのか、大きなやりがいを持って取り組む事ができました。練習にも必死に向き合った結果、高校3年生の時に400mハードル走で北海道高校女子記録の樹立や、国体での3位入賞等の成果を残せました。

大学進学後はどのような学生生活だったのですか?

 親元を離れ、滋賀県の立命館大学スポーツ健康科学部に進学。全国屈指の陸上強豪校という事もあり、練習もよりハードになりましたが、自分の中で大切にしていた事として、陸上に100%の時間を費やす事はせず、競技以外にも色々な事に挑戦しようと思っていました。特に「人の役に立ちたい」という強い思いがあり、ボランティア活動が行なえる場やJICA(国際協力機構)が開催しているイベント等には、大学入学間もない頃から積極的に足を運ぶようにしていました。高校生時代から「陸上競技で社会貢献をしたい/アフリカでスポーツクラブを作りたい」という夢を手帳に書いていて、陸上競技でトップランナーを輩出し続けている国でありながら、その反面でスラム街や貧困問題が拭えないケニアに行ってみたいと、ずっと機会を伺っていました。

トップレベルで競技を続けていると、長期でのチーム離脱を伴う海外滞在等はやはり難しいのでしょうか?

 私の場合は、幸いにも私は監督やチームメイトの理解もあり、4回生進級時の春に2週間ほど念願のケニアに行かせてもらいました。もちろん個人競技なのかチーム競技なのかで状況は異なると思うのですが、私の場合は「絶対にケニアに行きたい!」という熱意を、関係者へ汲み取って頂けた事が大きかったと思います。その為に、渡航の前年にあたる3回生時は、キャリアハイの成績を出す事に注力。「ケニア行きをお願いできるように、競技結果を残そう!」と必死でしたね。監督に交渉する際は、色々と難色を示されるのではと不安もありましたが、いざ話してみると「それだけ思いをもってやってきたのなら、行っておいで」と心地よく送り出して頂きました。

実際に行った現地ケニアはどうでしたか?

 日本国内の座学で学んでいた情報と、現地のリアルは衝撃的に違いましたね。2週間あった滞在の目的として、私に課せられたのは子供たちに対しての“体育指導”。しかしながら、衛生面や栄養面をはじめ、”体育以前”の問題が山積みでした。1日1食しか与えてもらえない子供が、体育でカロリーを消費してしまうと、もっとお腹が空いてしまうのではないか、、、といったような葛藤の日々でした。渡航前に考えていた自身の進路としては、大学院でスポーツと国際関係についての学びを深めようと思っていたのですが、2週間の滞在を通じて「理論的な学びではなく、もっと現場で経験を積まなければと思い、急遽進路を変更。大学卒業後は、JICA海外協力隊に入隊する事を決意しました。

それが新型コロナウイルスの影響で変動してしまったのですね、、。

 当初は2020年春からセネガルに2年間、現地派遣される予定だったのですが、残念ながら延期となってしまいました。延期が発表されてから半年が経過した今なお、いつになれば渡航できるのか全く読めない状況になっています。早くアフリカに行きたいのは山々ですが、こればっかりは仕方がないと割切り、いま日本で出来る事を全力で取り組めればと思っています。現在は、就職活動で1社のみ受けて内定を頂いた「Hanaspo」という団体が展開しているスポーツスクールにおいて、4~9歳を対象に人間力を磨く事をコンセプトとした、サッカー指導のサポートをしています。陸上とは異なるフィールドではあるものの、この経験も必ず将来の役に立つと思うので、Hanaspoの正社員としてコーチング力やマネジメント力をしっかりと高めて、2023年頃から再度JICA海外協力隊として活動できればと思っています。

アフリカへの派遣が解禁された後には、どのような目標を掲げられていますか?

 開発途上国において、何かしらの形で陸上選手育成に携わる事です。アフリカ諸国において、陸上で世界有数のトップ選手も既に大勢いるのですが、やはり適切な指導教育がごく1部の国にしか行き届いていないと感じています。私の競技経験を通じて学んだ事等もふまえ、さらなる潜在能力を秘めた国や地域等での選手育成に携わりたいと思います。
 長期的な視点では、私が開発途上国で育成に携わった陸上選手が、指導方法等を理解し、その選手のセカンドキャリアとして、次の世代にコーチングを受け継いでいくようなロールモデルの構築も、目標として持っておきたいと思っています。現地の選手が、子ども達のコーチングに取組む際、どういった指導が子どもたちの人間力を育む事に関連するのかを伝えていきたいです。コロナ禍で日本に留まらざるをえない状況をポジティブに捉え、Hanaspoでたくさんの経験をしたいと思います!

最後に、現役学生アスリートらへのメッセージをお願いします。

 おこがましい事は言えませんが、、、「自分の可能性に蓋をしない」という事は大切にして欲しいです。もちろん大学まで競技を継続する事は、並大抵以上の強い意志がないと続かないですし、それに伴う努力も必要です。でも折角の学生時代を、その競技の為のみに過ごすのは、少々勿体ないように感じます。私の場合は「人の役に立ちたい」という思いを中心に、陸上競技外にも様々なアンテナを張りましたが、きっと学生それぞれに興味のある分野や、個性を活かせる環境は競技外にも多様にあると思います。ぜひ自分の意志の赴くままに、有意義な学生生活を過ごして欲しいですし、就職活動についても周りの環境に感謝しながらポジティブに進めていけば、社会人となってからも競技人生同様に、様々な方々からの応援のもと活躍していける事を願っています。

《文:Next Connect 竹内 一平》2020年12月 執筆

関連情報

林 理紗 / Risa Hayashi
1998年 2月18日生  北海道出身
▶︎ 株式会社Hanaspo 公式サイト: https://www.hanaspo.com/soccer/